翻訳と辞書
Words near each other
・ 太平洋石炭販売輸送
・ 太平洋石炭販売輸送臨港線
・ 太平洋空軍 (アメリカ空軍)
・ 太平洋経済協力会議
・ 太平洋美術会
・ 太平洋美術学校
・ 太平洋興発
・ 太平洋航空軍団
・ 太平洋艦隊
・ 太平洋艦隊 (アメリカ海軍)
太平洋艦隊 (ロシア海軍)
・ 太平洋行進曲
・ 太平洋製糖
・ 太平洋証券
・ 太平洋諸島
・ 太平洋諸島フォーラム
・ 太平洋諸島信託統治領
・ 太平洋諸島系
・ 太平洋軍
・ 太平洋野球連盟


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

太平洋艦隊 (ロシア海軍) : ミニ英和和英辞書
太平洋艦隊 (ロシア海軍)[たいへいようかんたい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

太平 : [たいへい]
  1. (adj-na,n) peace 2. tranquility 3. tranquillity
太平洋 : [たいへいよう]
 【名詞】 1. Pacific Ocean 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 
艦隊 : [かんたい]
 【名詞】 1. (naval) fleet 2. armada 
: [たい]
 【名詞】 1. party 2. company 3. body (of troops) 4. corps
海軍 : [かいぐん]
 【名詞】navy, Navy
: [ぐん]
  1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops 

太平洋艦隊 (ロシア海軍) : ウィキペディア日本語版
太平洋艦隊 (ロシア海軍)[たいへいようかんたい]

太平洋艦隊(たいへいようかんたい、ロシア語、略称:)は、太平洋上での作戦を目的としたソ連海軍ロシア海軍の艦隊である。太平洋艦隊は、ソ連時代に創設されたが、ロシア帝国海軍の歴史と伝統も継承しているため、ここではロシア帝国時代も含めて述べる。
太平洋艦隊は、北方艦隊に次いで、2番目に強力な艦隊である。ソ連崩壊後は脆弱なインフラと財政不足のため、著しい数の戦闘艦艇が除籍を余儀なくされている。2013年にはピョートル大帝湾中華人民共和国海軍と合同演習を行なった。''、略称:)は、太平洋上での作戦を目的としたソ連海軍ロシア海軍の艦隊である。太平洋艦隊は、ソ連時代に創設されたが、ロシア帝国海軍の歴史と伝統も継承しているため、ここではロシア帝国時代も含めて述べる。
太平洋艦隊は、北方艦隊に次いで、2番目に強力な艦隊である。ソ連崩壊後は脆弱なインフラと財政不足のため、著しい数の戦闘艦艇が除籍を余儀なくされている。2013年にはピョートル大帝湾中華人民共和国海軍と合同演習を行なった。'')は、太平洋上での作戦を目的としたソ連海軍ロシア海軍の艦隊である。太平洋艦隊は、ソ連時代に創設されたが、ロシア帝国海軍の歴史と伝統も継承しているため、ここではロシア帝国時代も含めて述べる。
太平洋艦隊は、北方艦隊に次いで、2番目に強力な艦隊である。ソ連崩壊後は脆弱なインフラと財政不足のため、著しい数の戦闘艦艇が除籍を余儀なくされている。2013年にはピョートル大帝湾中華人民共和国海軍と合同演習を行なった。
== 歴史 ==

=== 帝政ロシア時代 ===

1731年オホーツク海奥にあったロシアの軍事・探検・造船の拠点、オホーツクに「オホーツク小艦隊」()が創設された。最初の司令官はグリゴリー・スコルニャコフ=ピサレフ(Grigoriy Skornyakov-Pisarev)で、沿岸警備、漁船の防衛、先住民との戦闘、太平洋岸での旅客・物資輸送、カムチャツカやアラスカの探検、後の露米会社の設立と運営などが主な仕事であった。1799年にはイギリスなど列強の太平洋進出に対する警戒や日本との千島列島での緊張に対処するため、小艦隊は強化されることになり、3隻のフリゲート艦と3隻の小艦艇が海軍少将I.フォミンの指揮下でバルト海艦隊からオホーツクに回航された。以後、バルト海艦隊の太平洋戦隊がオホーツク小艦隊(及びその後身のシベリア小艦隊)とは別に並立するようになっている。
1849年カムチャツカ半島にある良港・ペトロパブロフスク=ナ=カムチャトカが小艦隊の根拠地となり、カムチャツカ小艦隊とも呼ばれるようになる。1850年には海軍軍人ゲンナジー・ネヴェリスコイによりアムール川河口のニコラエフスク=ナ=アムーレ(当時、正式にはまだ国領)に哨所が設けられ、アムール川沿岸や日本海沿岸の探検も行われるようになった。1854年夏にはクリミア戦争の余波でイギリス・フランス連合軍によるペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦が行われたが、オホーツク小艦隊はこれを持ちこたえるのに顕著な役割を果たし、連合軍を撃退している。この戦闘を契機として、1856年にオホーツク小艦隊は根拠地をペトロパブロフスク=カムチャツキーからニコラエフスク=ナ=アムーレに移転し、「シベリア小艦隊」()と改名した。
1860年北京条約により、ロシアは外満洲の割譲を受け、沿海州を獲得した。河口で水深も浅いニコラエフスクに代わり、深くて冬でも凍らない港湾が沿海州南部の日本海沿いに造られることになった。1871年にはピョートル大帝湾の良港、金角湾に建設されたウラジオストクが新たな拠点になり、極東の防衛のためにバルト海艦隊から大規模な戦隊が日本海に回航された。19世紀までは小規模な艦隊だったシベリア小艦隊は、日露関係の緊迫化やイギリス・アメリカなどの脅威により拡充が求められるようになり、ロシア政府は建艦計画を策定した。しかしその実行は遅れ、艦隊の規模も不十分であり、1880年代まで極東の根拠地にはドックもない状態で、汽走艦の入渠修理は長崎・上海などの外国港湾のドックに依存していた〔原輝行 『ウラジオストク物語』 三省堂、1998年、p.98〕。このころシベリア小艦隊の艦船は頻繁に越冬などの目的で日本・李氏朝鮮・清の港を訪れてそのプレゼンスを高め、特に朝鮮で、元山などを軍港として使用することを模索した。ウラジオストク港には1890年に浮ドックが、その数年後には乾ドック〔1891年に、ニコライ皇太子臨席の下で起工式が行われ、「ニコライ皇太子名称乾ドック」と命名された(原輝行 『ウラジオストク物語』 三省堂、1998年、p.177)。〕が完成し、同港での艦船の入渠修理が可能となった〔原輝行 『ウラジオストク物語』 三省堂、1998年、p.177及び巻末略年表(1)〕〔ただ、日露戦争の頃までは浮ドックと乾ドックが各1基という規模であり、修理能力は限られていた。また、19世紀末頃にウラジオストクへの配備を想定して建造されたペトロパブロフスク級戦艦も、このドックの規模を考慮して同時期の列強の戦艦よりやや小さい船体規模とされるなどの影響もあった。〕。
日清戦争後には、ロシアは弱体化した清から満州のさまざまな権益を獲得し、1897年には遼東半島の清国軍港だった旅順(ポート・アーサー / ポルト=アルトゥール)および大連(ダーリニー)を占領してこれをウラジオストクに並ぶ拠点にした。1900年にはアムール川の警備のためにアムール小艦隊()も設置された。日露関係の緊迫化とともに極東にはバルト海から新鋭艦が回航されるようになった〔黒海からは艦艇の移動が認められていなかった。〕。
1904年日露戦争開戦直前の2月5日、極東にあったシベリア小艦隊やバルト海艦隊太平洋戦隊などに属する艦船は、ステパン・マカロフ海軍中将指揮下の太平洋艦隊へと再編された。この時点で、太平洋戦隊の艦船(戦艦7、巡洋艦8、水雷艇13、砲艦2)とシベリア小艦隊の艦船の一部(巡洋艦2、水雷巡洋艦2、水雷艇12、砲艦5)は旅順に拠点を置き、残りの巡洋艦(巡洋艦4、水雷艇10)はウラジオストクに残った(ウラジオストク巡洋艦隊)。直後の2月9日旅順口攻撃仁川沖海戦より太平洋艦隊は日本海軍と交戦に入った。
太平洋艦隊は旅順の閉塞防止や日本に対する通商破壊を戦い、特にウラジオストク巡洋艦隊は常陸丸事件などで日本軍の大陸への物資・兵員輸送を妨げ、日本海軍第二艦隊を旅順から遠く離れたウラジオストクや朝鮮半島周辺にくぎ付けにした。その一方でマカロフは3月31日に乗艦が触雷した際に戦死してしまい、後をヴィリゲリム・ヴィトゲフトが代行として引き継いだ。旅順艦隊にはより多くの戦力が必要であったため、バルト海艦隊から艦船を抽出して太平洋艦隊として組み込むことになり、従来の艦隊を「第一太平洋艦隊」〔この「艦隊」の名称には通常の「флота」ではなく「эскадра」という言葉を使用している。「эскадра」に対応する日本語は無く日本ではこれも艦隊と呼称している。〕とし、増援艦隊を「第二太平洋艦隊」としてジノヴィー・ロジェストヴェンスキー提督指揮下のもと極東へ向かわせることとなった。しかし黄海海戦で旅順艦隊が、蔚山沖海戦でウラジオストク巡洋艦隊が打撃を受けた上、旅順の陥落により旅順艦隊は全ての艦が使用不能となってしまった〔一部の艦が残っていたが中立国において抑留されていた。〕。それでも新たにバルト海艦隊の残留艦で編成した「第三太平洋艦隊」(日本側では第二・第三太平洋艦隊をまとめて「バルチック艦隊」と呼ぶ)をさらに増援とし、旅順からウラジオストクに目的地を変え航海を続行させたが、日本海海戦で壊滅した。
日露戦争末期のロシア第一革命ではウラジオストクに残った太平洋艦隊の水兵も革命に参加し、ウラジオストクでは1906年1月と1907年10月にも水兵が武装蜂起に参加した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「太平洋艦隊 (ロシア海軍)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.